P.チャイコフスキー/交響曲第3番 ニ長調Op.29


 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840年5月7日-1893年11月61)は後期ロマン派を代表するロシアの作曲家である。父イリヤーはペテルブルグの食族学校の1つである鉱山学校出身の技術者、母アレクサンドラはペテルプルグにおいて貴族のための女学校を卒業している。両親は2人の姉妹と6人の兄弟(チャイコフスキーは次男)を全員首都に留学させておりこの時代としては最高の教育を与えられた。
 1850年8月、10歳の時にペテルブルグに留学、貴族の子弟のためのエリート学校である法律学校で9年間学び、1959年にこの学校を卒業すると法務省に入省、高級官像の道を歩み始めた。しかし彼はこのエリートコースを途中で放棄し1862年から185年までの3年間ベテルブルク音楽院で職業音楽家としての訓練を受けた。そして卒業した年の翌年1866年秋に発足することになっていたモスクワ音楽院の音楽理論の教師に採用されて、教職によって生活費を確保しつつ、同時に作曲家としての道を歩み始めた。このモスクワ音楽院の教師として過ごした約12年間の間に作品番号1番「2つのピアノの小品」から作品番号34番独奏ヴァイオリンと管弦楽のための「スケルツォ・ワルツ」までの曲を作曲した。この中にはオペラ「エフゲニー・オネーギン」や交響曲第3番を含む3つの交響曲、バレエ音楽「白鳥の湖」、弦楽四重奏曲なども含まれ、作曲した音楽ジャンルが実に多彩である。この後も交響曲第4番から6番、ピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲などの名曲を多数生み出していく。
 交響曲第3番は演奏される機会は少ないが魅力多き交響曲である。5楽章から構成されている点(主流は4楽章)2.4楽章をスケルツォ楽章、3楽章を叙情楽章、1.5楽章を形式的楽章という風に楽章構成にシンメトリーを塩したという点が大きな特徴、魅力として挙げられる。またこの曲に「ポーランド」という副題を付けることがあるが、これは作曲家自身によって付けられたものではなく、5楽章のロンド主題がポーランド起源の舞曲であるポロネーズのリズムで構成されていることから、後に付けられたものである。
[第1楽章]:序奏はニ短調、4/4拍子、葬送行進曲である。太鼓の音のように聞こえる低弦のピッチカートが物々しい雰囲気を演出する中、高音弦楽器が重たい空気の漂う施律を演奏する。この旋律が次第に管楽器へと受け継がれ、速度を上げて長調に転調し主部へ突入する。主部はニ長調、4/4拍子、ソナタ形式である。序奏とは対黒的に光に満ちた輝かしい第1主題をはじめとして全体的に明るい印象を与える。コーダに入るとテンボが上がり、目の前にある掴みたいものを追いかけるようにしてクライマックスを迎える。
[第2楽章]:変口長調、3/4拍子、複合三部形式、アラ・テデスカ。アラ・テデスカとは「ドイツ風に」の息味で、ワルツやその原型のレントラーの様式を指す。主部のはじめの主題はレントラー、2つ目の主題はワルツを品わせる。トリオ(中間部)は主部のゆったりとした楽想とは対照的に、細かいリズムを持ったせせこましい楽想がー。特徴である。そして再び主部に帰ってくると最後はクラリネットとファゴットのソロで演奏して幕を閉しの。
[第3楽章]:二短調、3/4拍子、簡略なソナタ形式、アンダンテ・エナージコ。この楽章の旋律はどれも歌の上うであり大変美しい。楽章の始めに木管楽器とホルンがそれぞれ奏でる旋律はどこか悲しみを感じさせ、その後に現れる弦楽器の旋律は甘く美しい。
[第4楽章]:ロ短調、2/4拍子、三部形式、スケルツォ。主部は軽快な楽想が特徴的であり、主部の終わりににトロンボーンのソロが登場する。トリオ(中間部)は2拍目にアクセントが付く旋律が特徴である。そして再び三れた主部には工夫が凝らされ、コーダの後に幕を閉じる。
[第5楽章]:二長調、3/4拍子、ロンド形式、フィナーレ。ロンド主題はポロネーズのリズムで構成されていミこの主題はコーダを除いて3回出てくるが1回目の2回目の間の旋律は賛歌を思わせる広がりのある旋律、2回と3回目の間の旋律はリズムこそ軽快であるが、和声の響きは寂しさを感じさせる旋律で構成されている。3度の主題が終わるとすぐに同じ主題を用いた長大なフーガが奏でられる。コーダの全楽器による主題の強奏は大で圧巻である。